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デビュー10周年を迎えるBTS誕生の逸話を紹介!!J-HOPEに脱退危機!?

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今年デビュー10周年を迎えるBTS。
世界的スターとして活躍する彼らですが、現在の活動からは想像できない驚きの逸話があったのです!
今回は知られざるBTSデビュー時のエピソードを紹介していきます。

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デビュー10周年を迎えるBTS

BigHitから待望のデビュー

BTS結成のために開催されたオーディション開始からおよそ3年後の2013年6月13日、ついにBig HitエンターテインメントからデビューしたBTS。
長い練習生活を終えて、メンバーたちは見事デビュー日を迎えました。

デビューシングル「2 COOL 4 SKOOL」に収録されたデビュー曲の「NO MORE DREAM」は、国内の音楽アワードで5つの新人賞を獲得!
2013年12月、2014年1月に日本で開催されたショーケースでは、日本デビュー前にも関わらずおよそ4万6000人以上の観覧応募数を集め、大きな話題になりました。

その後2014年6月に「NO MORE DREM(Japanese Ver.)」で日本デビューを果たし、オリコン週間チャートで8位を獲得、華々しいスタートを切りました。

10周年を記念するグッズが発売!

デビュー10周年を記念し、BTS初となる記念メダルが発売。
BTSの公式ロゴを囲うようにメンバー全員の名前が入っており、裏面には「10」という数字が入っています。

SNSでは、マスターさん主催のイベントやファンによる企画も始まっており、6月のデビュー日に向けて日本でもすっかりお祝いムードに!
兵役中のメンバーもいるため、大きな企画は期待できませんが、ARMYが喜ぶようなコンテンツが公式からも発表されるといいですね!

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BTS誕生の知られざる逸話を紹介!

このように世界中のファンから愛されているBTSですが、デビュー当時は今とは違うことが沢山!
「そうだったの!?」「信じられない!」そんな意外なエピソードがBTSのデビューまで繰り広げられていたのです。
ここからはBTS誕生の逸話を紹介していきます!

デビュー前から有名だったラップライン

ラップラインの3人は入所前からすでにそれぞれの分野で活躍していました。

シュガは「gloss」としてRMは「RunchRanda」としてアンダーグラウンドで音楽活動をし、有名ラッパーとのコラボや楽曲提供をおこない、10代とは思えない活躍を見せています。

J-HOPEはストリートダンサー出身で「スマイルホヤ」として活躍し、地元のダンス大会やフェスでも好成績を残しています。
デビュー時は「あのスマイルホヤがいるグループ」としてダンス界隈で大きく注目を集めていました。

ジンはSMのスカウトを断っていた

中学生時代、超大手事務所SMからスカウトされた経験があるというジン。
しかし、詐欺だと思ったジンはなんとそのスカウトを断ってしまったのだそう。
もしジンがSMの練習生になっていたらEXOやSHINeeのメンバーとしてデビューしていたのかもしれません!
ビジュアル重視と言われるSMにスカウトされるほど、ジンは中学生の頃からすでにかっこよかったのですね!

バイトをしながら練習生をしていたシュガ

芸能界入りを親から反対されていたシュガは、アルバイトをしながら練習生生活を過ごしていました。しかし、商品の配達中にバイクによる交通事故をおこし、その後遺症でシュガは肩を動かせなくなってしまいます。
バイトしていることを事務所に黙っていたシュガはバレるとクビになると思い、デビューを諦めたのだそう。

そんなシュガに事務所は「待ってあげる」と伝え、学費をサポートしてくれました。
シュガは事務所を抜けることなくBTSとしてデビューし、その後2020年には歌手活動の継続と兵役履行のために事故でおった肩の手術をしています。

テテは非公開練習生だった!

BTSのデビューメンバーが決まると、2012年12月にBTSのTwitter公式アカウントが開設され、1ヶ月に2人ずつメンバーが公開されていきました。
2013年2月に6人目のメンバーとしてJ-HOPEが公開されますが、以降は撮影やレコーディングの様子が公開されるばかりで7人目のメンバーについては全く触れられていません。
この7人目のメンバーがテテだったのです。

テテは非公開のオーディションで合格しており、他の事務所からの引き抜きを防ぐため、非公開練習生としてデビューまでその存在を隠されていました。
テテの姿が公開されるとその魅力的なビジュアルと実力は話題を集め、BTSの秘密兵器として絶大なインパクトを残しました。

今とは全く違うコンセプトだった

歌って踊れるアイドルBTSですが、デビュー当初は歌やダンスではなく、ラップメインのヒップホップグループとしてデビューする予定だったそう。
その後、事務所がグループのコンセプトをアイドル路線に大幅変更。
ラップよりも現在のようなダンス中心のアイドルグループを目指したことで、ラッパー志望の多くの練習生が退所することになりました。

そのせいかデビュー当初はアイドルラッパーと批判されることもあったRMやシュガ。
このような苦悩から「MIC DROP」や「IDOL」のような偏見を覆す名曲たちが生まれたのでしょう。

当初のデビュー予定は2011年だった!

2011年にデビュー予定だったBTSは、急なコンセプト変更もあり、デビューが延期に。
仲間たちの退所も相次ぎ、デビューの見通しが立たなくなったRMとシュガは何度も事務所を辞めようと検討していたそうです。
新しいコンセプトに合わせたスカウトやオーディションを重ね、ついに2013年にデビュー。
旧コンセプト時に練習生だったのはラップラインの3名だけだったので、もし、コンセプトを変えずにそのまま2011年にデビューしていたとしたら、全く違うメンバー構成だったのかもしれませんね。

J-HOPEはデビューメンバーから外されていた!?

コンセプトが定まり、新人候補生たちも実力がついてきたころ、J-HOPEはデビューメンバーから外されてしまいます
発表を受け、辞める決意を固めたJ-HOPEは、脱退することを自ら練習生たちに報告しました。
すると、当時中学3年生だったグクが号泣し「辞めないで」とJ-HOPEを引き留めたのだそう!
グクの練習生時代の写真を振り返ると、J-HOPEとの写真が多く、当時からとても仲が良かったことがわかります。
RMも事務所のマネジメントに「J-HOPEがいないとチームにならない」「彼が必要」と直談判し、最終的にJ-HOPEはBTSの一員になることができました。

9人一部屋で暮らしていた!?

論峴洞にある「青い家」と呼ばれるBTSの有名な宿舎。
実は練習生時代から過ごしていた宿舎で、17坪2部屋の小さなアパートに練習生9名が暮らしていました。
当時メンバーたちと共に暮らしていた元練習生によると、3台の2段ベッドで6人、床に敷いた布団で3人が寝ていたそう!

そんな思い出が詰まったこの宿舎を出るときにBTSは「引っ越し」という曲をリリース。
「大きく感じた17坪も成長した僕らには狭くなってしまった。高みを目指すために思い出の部屋に別れをつげよう」と歌ったこの曲は、BTSの歴史を語るうえで欠かせない、名曲の一つとなりました。

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まとめ:祝デビュー10周年!

いかがでしたか?
今回はBTSの知られざるデビュー前のエピソードについて紹介しました。
今の姿からは想像できないエピソードがたくさんありましたが、この10年の間でそれだけBTSや事務所が大きく成長してきたということなのでしょう!

今年は記念すべきデビュー10周年。
何十年先も6月13日のデビュー日を笑顔で祝わせてほしいですね!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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